◎ 謙虚(けんきょ)と謙遜(けんそん)
謙虚であることは、人の成長のために有益である。
謙虚であるとは、自分が成長するための材料があるときに、それを素直に受け入れようとする姿勢だから。
ここで、成長とはどういうことかに注意する必要がある。
成長とは、自分が足りないところを埋めることではないのだ。
なぜなら、人に足りない部分など存在しないから。
人は完璧だから(むろん人に限らないが)。
人には足りない部分があるのではなく、個性があるのである。
それをキャラクター(性格)と言い換えても良いし、持ち味と言い換えても良い。
そう認識できると、世界が変わる。
そう、成長とは、個性の変化だと分かる。
だが、そうは信じられないかもしれない。
そういう人は、成長を自分に足りないところを埋めることと信じているのだろう。
その場合は、謙虚ではなく謙遜になる。
謙遜とは、自分をありのままではなく、それよりも過少に評価することだから。
謙遜する人は、自分に足りない部分を探すことになる。
最初のうちは、それでもあまり問題は生じない。
だが、常時謙遜を続けていると、本当の自分が分からなくなってくる。
常に自分に足りない部分があると思い、それが気になって仕方なくなる。
コンプレックスやトラウマになる。
そうやって、人は自分では求めていないはずの人生を体験している。
もうそんな体験は止めてはいかがだろうか。
止めることは難しくはないから。
止める方策は、もうお分かりだろう。
謙遜をせずに、謙虚であれば良いのだ。
ここまで読んで、それは良いが、これのどこが気功の話だと思われたかもしれない。
私は、気功は単なる健康法に留まらず、生き方だと思っている。
それも智恵のある生き方だと。
謙虚と謙遜の話は、知識の現実への応用すなわち智恵である。
だから、気功の話で良いのだ。
石倉 記