父が今年の一月に他界したのですが、そこに至るまでの体験をお話します。
去年の秋、肺癌の宣告を受けた時にはすでに、長く持って余命半年でした。
その時、木下先生と池田先生に遠隔祈祷と遠隔気功を目いっぱい施して頂きました。
実際、本当に癌は縮小され、父は病院の治療をやめ、一か月に一度だけの定期検診と、木下先生の個人セッション、池田先生の遠隔気功、そして木下先生に紹介されたホメオパシー治療だけを頼りにして行きました。
ホメオパシーとは、英国などでは保険の適用が効くほど生活に浸透しているものですが、日本では厚生労働省の認可の降りない自然治癒療法です。
詳しくは各自で調べてみてください。
その間私は就職活動をしていて、決まっていたバイトには行きたくなかったので、誰かがオカマでも掘ってくれたら保険が降りて働かなくてラッキーなんだけどな〜・・・などと軽く思っていました。
そう思ってから一週間もしないうちに、10トントラックに後ろから追突される大事故に遭ってしまいました。
まさにオカマを掘られてしまったのです。
信号待ちで前に止まっていた車とトラックの間に、私の車が完全に挟み撃ちになったので、車はもちろん廃車になりました。
でも私は後遺症が残らない全身打撲以外、全くの無傷でした。
最初に救急車で搬送された病院でも、次に行った地元の外科でも、接骨院の先生にも、あの状態で生きていたとは奇跡だね〜と、三人から言われました。
話が飛んでしまいましたが、私は身体の調子が悪かったという事もあり、そこから父が他界する二週間前まで父の事は先生方に任せきりで、ほとんど気をあてることはしませんでした。
父は夏も秋も足しげく、嬉しそうに木下先生の個人セッションと池田先生のところに伺いました。
いつかの土曜のクラスに両親揃って参加したこともありました。
とっても元気で、韓国に旅行や、ゴルフもおしゃれも楽しんでいました。
秋になり、また少しずつ父の咳がひどくなってきた頃、定期健診で癌の拡大が見られるようになりました。
それでも私は父に本気で向き合おうとはしませんでした。
先生方がついているし、父は大丈夫に決まっていると思いこんでいたからです。
きっとまた癌が小さくなって、元気になるだろうと思っていました。
それに事故で身体を休めていた間にできなかった就職活動もしなければ大変だと思い、本当に自分のことだけで頭がいっぱいでした。
池田先生からのたくさんのメッセージでさえも、私は実行しない状態でした。
時に私は、先生からのメッセージを疑う事さえありました。
父に池田先生を信じてがんばろうと言ったのは私だったのに、その本人が信じられないなんて、その時の私はなんだったのだろうと思います。
そんなある日、今まで病院に行くことを拒んでがんばっていた父が、身体の痛みに耐えられず、一時入院をしました。
そこで初めてモルヒネを身体に投与され、外見だけが今までの父とは違う父になっていきました。
そうなってから、遠隔気功の際のメッセージのメールが池田先生から届きました。
そこには、家族の気持ちをひとつにすることが必要ですとありました。
そのメールで、私は父に本気で向き合っていなかった事を心から感じ、父も家族と病気に対する気持ちを改めて思い直し、心からの感謝の気持ちを口に出してくれました。
私は今まで一体何をしていたのだろうかと思いました。
そこからは絶対に奇跡を起こそうと、本気で父と病気に向き合いました。
まずは皆で気持ちを一つにして、癌に感謝をすることを始めました。
そうしながら私は気を送り、父は気を受けてくれました。
そんな風になって二日後、目を閉じて気をあてていた時、木下先生の姿が浮かびました。
すごくリアルに、紺色の作務衣を着ていた先生の姿が見えました。
心のどこかで木下先生に助けを要求していたのかも知れません。
先生は「気をあてるときはこんな風にするといいです」と私にお手本を見せてくれました。
その時はまさか私に先生の姿が見えるわけないと思っていたし、夢とか勝手な妄想かと思っていました。
でも両親に、今木下先生が来てくれたよと伝えました。
そう言えば父が安心すると思って言ったことですが、後に個人セッションでお会いした時に、一応私の体験したことを話してみました。
すると木下先生は「それは私です、行きました」と答えてくれました。
やっぱり夢や妄想ではなかったようです。
そのまた二日後、本格的に父は入院となりました。
その日、私は木下先生のサイトにある今日のメッセージで、今日はあなたにとって特別な一日ですと表示されました。
今思えば父が他界する前日でしたので、まさに特別な一日だったなという事をはっきりと覚えています。
そこは病院というより高級ホテルみたいな療養施設で、父は嬉しかったのか安心したのか、とってもいい顔をたくさん見せてくれました。
あまりにいい顔だったので、池田先生に、これからがんばりますという決意と共に写メを送りました。
その日、夕方には昼間よりも顔色の良い元気な笑顔を母と私に見せてくれました。
安心して父を病院に残し、帰宅しました。
次の朝方、病院から母も私も呼ばれました。
その時にクリスタルチューナーを持って行きました。
部屋を移っていたので浄化しなければと思い、何度かチューナーを鳴らしました。
すると電気がついたみたいに一瞬明るくなったので、電気を探しましたがどこにもありませんでした。
もしかしたら父の病気の回復の合図だと思い、すっかり安心していました。
そんなことがあった後、看護婦さんからモルヒネ投与の早送りをさせて頂きますと言われました。
それは要するに、死への早送りと言うことでした。
早送りってDVDじゃないんだから、と心の中で看護婦さんに突っ込んでいました。
私達は、父は絶対退院してまた元気になると思っていました。
その思いは家族一同だったと思います。
夕方、一旦家に戻りました。
家に着いてからは病院に向け、遠隔気功をしようと父に気を送り始めました。
でも、私の胸の中はモヤモヤでいっぱいでした。初めて体験したモヤモヤでした。
胃までムカムカして、ものすごい気持ち悪くなりました。
しかも私の手からは気も何も出ていない様に感じました。
気が出ていないと言うより、対象の父に気を送れないという感じでしょうか。
しかも涙も溢れてきて、悲しい気持ちがありました。
一生懸命に父を思い浮かべても、何も見えませんでした。
そんな状態に疑問を感じながらも、一旦落ち着こうと深呼吸をしてしばらく遠隔気功を中断しました。
すると父のイメージが出てきました。
今までに見たことのない美しい光を放っている金色の球体の中に包まれた、父の姿が見えました。
私はその姿を見た瞬間、モヤモヤも消えたと思います。
(その光は、高次元からのお迎えの合図だったのでしょうと、後から池田先生に教えて頂きました。これからいい方向に向かうのかもと思いつつ、早く病院に行かないといけない衝動に駆られました。)
しばらくして電話で、母から父の訃報を聞きました。
そのあとは池田先生にすぐ電話して、先生の声に癒されながらも、とにかく深い悲しみに入ったのを覚えています。
その時のモヤモヤは、きっと昔から言われている虫の知らせとかの部類だったのでしょうか。
病院に着いて親戚達が葬儀について話し合っている中、池田先生から心を静かにして父からのメッセージを聞いてみてくださいと連絡を頂きました。
すると、花はいいな〜と、父の声が聞こえた気がしました。
それはとっても父らしい一言だったと思います。なぜか思わず笑ってしまいました。
父が他界する寸前までは、病気の回復を目標に、必死にできることを続けていました。
でも他界した次の日から、私は腑抜けの状態でした。
今まで気づかなかった父の人柄を理解することができたのは、父が他界してからでした。
私はたくさんの後悔もしました。
そんな状態でしたが、私自身で父にお経をあげたいと思う様になりました。
それで修験道のコースを受けさせていただく事にしました。
お経をあげていると感極まることが何度かあり、泣いてしまってお経を読めないことがあります。時々は、何かの気配を感じることもあります。
そんなときは、父やお経を聞いてくれている人が、私に感謝している合図だそうです。
石材屋さんと一緒にお墓の完成を見に行った時は、母と姉とお墓の出来を見てから車に乗り込んだ瞬間に、雨がパラパラと降ってきました。
快晴だったので天気雨かと思っていたのですが、それは父からの感謝と喜びの合図だった様です。
たまに木下先生の個人セッションに行くと、ハープの前でお父様が二時間前から待っていましたよとか言われたりして、邪魔してすみませんと言いながらも笑ってしまう事があります。
池田先生から修験道を伝授して頂てる時も、いつも父が一緒だった様です。
だからきっと今日もここに、ちゃっかり皆さんといると思います。
私は色んな体験をしても尚、見えない存在や力を素直に受け入れられない事がほとんどなのですが、木下先生や池田先生の様に、その存在からのメッセージを伝えられる人に、そして人や動物や物の本質と話せる人に、いつかなりたいと思っています。
長くなってしまいましたが、最後まで聞いてくださりありがとうございました。