優子の戯論


◎ 四十九日

 池田優子です。

 4月28日は東日本大震災より七七日(四十九日)でした。
 亡くなった方々のご冥福をお祈りし、また遺された皆さまのお心が癒えるよう、心を込めてお経を上げさせていただきました。

 犠牲者の中には、私の親戚や知人も少なからずおります。
 壊滅的な被害を受けた岩手県陸前高田市は、私の両親が眠る地です。
 とても美しい上品な土地でした。
 人々は優しく、自然を愛し、進取の気質にも富んだバランスの良い風土でした。

 私が姉のように思っていた従姉妹も、今回の震災で行方不明となりました。
 東京に居た息子がすぐに現地へ向い、一週間かけて避難所を探しました。
 その後は、遺体安置所を巡ったということです。

 震災から20日過ぎた夜、「もう母の携帯を解約します」と連絡が来ました。
 「避難所に居た人の数人が、後から逃げてきた母が津波に巻き込まれたところを見たそうです」。
 私は震災後、初めて声を上げて泣きました。
 従姉妹の想い、彼の心中、遠く消えていった美しい高田の街とたくさんの思い出…。

 暫く泣いていると、私の髪の毛を引っ張る気配がありました。
 最初はおちゃめな動物霊のいたずらかと思ったのですが、どうも感じが違います。
 「ゆみ姉さん?」と聞くと(従姉妹はゆみという名前です)、「そうよ、私よ。何泣いてるの?」と笑っています。
 従姉妹は「いま、とても楽しい気持ちで、いろいろな所を見渡しているのよ」と言って、津波に遭ってからのことを語り始めました。

 津波に呑まれたあと、すぐに意識を失ったので、全く苦しくはなかった。
 気がつくと、真っ白い空間に浮かんでいた。
 身体はとても軽く、心も穏やかで、とても心地よく感じた。
 生前は視力がだいぶ衰えていたけれども、その空間では全てがはっきりと見えていた。

 どのくらいその空間に浮かんでいたかは、分からない。
 長い長い間のようにも、一瞬のことにも感じられた。
 誰かが手を握ったのを感じた。
 見ると、幼くして霊界へ帰った三男だった。
 「迎えに来てくれたの?」というと、三男は「うん、案内するよ」と言った。
 すると、さーっと視界が開けて、遠くの方まで見渡すことができた。
 三男に手を取られながら、色とりどりの花が咲き乱れる場所へ行って、花や蝶と無邪気に戯れた。

 それから、岩ばかりの星の表面のようなところへ行ったり、光のない空を飛んだり、また芳しい花がたくさんあるところで遊んだり。
 とてもとても幸せな気持ち。安心して、満ち足りた気持ち。
 そして、いまはあなたたちの世界を見渡しながら、私はこれから何をしていこうかと考えているのよ…と。

 従姉妹は、死は祝福であるということを改めて感じさせてくれました。
 死は、新しい門出なのです。

 そして、陸前高田市をはじめとする被災地もまた、未曾有の大災害によりその姿は一変してしまいましたが、復興が確信できます。
 復興というより、素晴らしい世界を新たに創り出していくのでしょう。

 日本全体が新しい出発のときを迎えようとしています。
 亡くなった方々は宙で見守り、地に残った人々は天佑を得て行動しています。
 日本中の皆が一つになって、新しい幸せを創っていくときが来ているのを感じます。



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