お便りコーナー


◎ 378 滋賀県Aさん(男性)より


 Aです。
 ずっと気になっていたのですが、(修験道で)ロウソクの火を何故、息ではなく手で消すのでしょうか?
 作法の問題でしょうか?
 それとも霊的な問題でしょうか?
 昨日、気のだし方と巡気を教えた小学生の子がストーブの陽炎を見て、「気とおなじやな」と言ってきました。
 私は初めは見えない気を想像して言ったことだと思っていましたが、本当に気のエネルギーが陽炎のように見えているようです。
 二年ほど前に私も、気をこの目で見てみたいと思い、古神道の本のやり方で、うまくいけば手の間の空間がぼやけて陽炎のように見えたことがあります。
 今ではほとんど見えません。
 気を教えた子はよく見えるようになったようです。
 私が気を練ると「このへんだろ」と言いました。
 この子は私より上達が早いかもしれません。
 それで、私も頑張らないと。と思う気持ちと、もっと、この子に気功を教えてあげたい気持ちと、少しだけ心配になる気持ちになりました。
 気の力に関する訓練は霊能力の覚醒に直結するとしたら、この子が霊的な面で上達していくのは果たして良いことだろうか?
 もし、霊視能力に優れていたら、きっと見たくないものも見なければならない人生になるのではないかと思ったりもします。
 私は霊視に限らず、霊的能力をコントロールする方法がわかりませんし、私自身、コントロールできない不安定な状態です。
 私は、見えない力を知ってもらいたかっただけなのですが、気に関して責任能力が乏しいことに気付きました。
 もっと気功を頑張ろうと思い、昨日久しぶりに小周天をしました。
 そのときは、晴哉さんの陰陽鈴を使って瞑想していたのですが、全身が深くリラックスし溶けてしまいそうなくらい体が熱くなりました。
 少し驚きましたが、怖れていては前に進めないと思い、さらに炎を燃え上がらせました。
 汗がでてきました。
 きっと、すごいことになると思っていたのですが、汗がでた後で、まるで火に水をかけて鎮火したように体の熱は元に戻ってしまいました。
 陰陽鈴に少しだけ温かみが残っている状態です。
 30分を越えていたので足が痺れて、喉が痛くなりました。
 でも、さぼりぎみだった小周天をやる気になれそうです。


 池田優子です。

 ロウソクの火を手で消すのは、神仏に自分の息をかけるのは失礼だ、という考えからだと聞いています。
 仏具屋さんにはロウソクの火を消す道具もあります。

 いろいろと良い体験をなさっていますね。
 子供は感性が鋭いので、私たちも勉強になります。
 霊能力は、きちんと学べば、必ずその人に役立つものになります。
 精神世界のことと物質世界のことのバランスをとりながら学ぶということです。
 小周天において「すごいことになる」と思うのは、表面意識です。
 離脱でもそうですが、何かの拍子にそのように表面意識が出てきて意識状態が普通に戻ってしまうことはありがちなことです。
 何かの拍子に出た表面意識も、深い意識のまま見る技術が必要となります。



お便りコーナーへ戻る


|topへ戻る|