◎ 735 神奈川県Kさん(男性)
☆池田先生、石倉さん☆
こんばんわ。Kです。
今回もありがとうございました。
修験数息観は僕の中ではかなり襟を正して集中しなければならない方法でした。
よく密教僧などは梵字を強靱な想像力で作り上げることが神仏を降ろすのに必要だと聞いています。
それゆえか、この瞑想法はおこぞかで静ひつなイメージがあります。
さて建物作るにはやっぱり土台じゃろうと思い、前半はバン字をこさえて字を含んだ四角い形状が自分をビルのように包みました。
ウン・アとなぞるように何度も頭の中心に浮かび上がらせたり、細胞の量子一つ一つを字にしたり、やりながら様々なことが浮かびました。
一つは刹那瞬の概念。
ウンで一つに収束して、アでビックバン。
そうしているうちに身体の中が空っぽで中心から字が起こり体の縁取りを外骨格として、中で字が膨らんで縮んでウン・アが切り替わる字と合体したような感覚がして気で満たされてるように感じました。
そしてもう一つ面白いのが、会場にいる全員が人間では無くて(笑)正確に言い直すと肉の皮をペロッとむくと(笑)誰もがその正体としてバンの上でウン・アの刹那瞬を繰り返す字そのもののイメージだったことです。
一瞬引いた視点になりましたが奥深いものを感じました。
いつもなら振り切ろうとして逆に雑念に捕まることも多いのですが、今回は雑念に猶予を与えてというか一緒に居てあげて(笑)意識せず自然に帰れました。
☆今回のポイント☆
・イメージを作り続けることに捕われない。ある程度意守できてたら『ある』と感じて次に進む。
・長時間で集中が切れて来たら数息観にいったん帰るのもよし。
でした☆
また得るものがあったので嬉しいです。