◎ 1185 滋賀県Aさん(男性)
Aです。
体外離脱といっても、一概にこれが、体外離脱とはいえないのでは、ないでしょうか?
体から霊体が抜け出すと思っていました。
だから、肉体を眺めることが、できる、そう思っていました。
肉体はいつも、発見できません。
そもそも、霊体、肉体、分けて考えること自体が落とし穴だったように感じます。
「離脱していつものように体は?と思いました。
今回は、胸に手をあて、これが、わたしの体。この次元での。」肉体が動かなくなっても。
魂、精神、肉体の三種構造は形を変えるだけというのは、こういうことではないかと自分なりにわかりました。
肉体を捨てるといっても、体がなくなるわけではない。
体なしで存在するわけではない。
言葉では誤解があるでしょうが、私の体験したのは、体外離脱というより、異なる次元での意識の認識、そして、そこでの忘却を一部くい止めたのに成功したということでは、ないでしょうか?
夢にのまれつつありましたが、丹田に意識を集中して、空間が崩れるのを防ぎ、そして、はっきり魂のこえ、うごきを今回は見逃しませんでした。
本来の私は、「あ〜おもしろかった」といって、なんと背伸びしたのです。
体にもどって背伸びしたのです。
でも、この肉体ではなかった!
壁を通り抜けたりできる、自在の体と物質界の法則に従う肉体、その中間の体で背伸びしたのです。
私は、何層もあるようで、遊んでた感覚と戻った感覚。
両方、覚えていました。
なんと、無邪気なたましいか!
これが、私か!怖く思うこともありました。
鏡があったのです。
不思議に自分がどう写るのか、興味と同時に恐怖していました。
自分の顔は、はっきり写りません。
はっきりとは、おぼえていませんが、たくさん写りました。
恐れをもって見たから美しいと思えるものではなかった。
次は美しいものを創造しようと思います。