◎ 1294 Nさん(女性)
池田様
石倉様
いつもありがとうございます。
さて、あれから、このままではまた昔のまんまだと思い、謝辞功をしたりすわいしょうこうをしたりと気分転換を図っています。
だんだんと前向きな気持ちに戻りつつあります。
私はやっぱり、エステと気功を愛媛でやっていきたいと強く思いました。
もっと、強くならなくては。もっと全てを受け入れる広い器をもたなくては。
目指せ、優子先生!
いろいろとありがとうございます。
さて、質問なのですが、自分を受け入れるの感覚がわかりません。
浄化する感覚もわかりません。
全てを認めて受け入れる。とは、自分の未熟な面もですか?
それは克服しなくてはいけないものではないのですか?
うまく説明ができないのですが、もしよろしければ教えて頂けますか?
今どんどん出てきているマイナス要因は観心想も絡んでますよね。
昨日まで、観心想が嫌でしたが(笑)またこつこつとやっていきます。
ありがとうございました。
池田優子です。
私たちの心の中に在るどんな感情も、全て神さまからの贈り物です。
未熟だと感じる部分は、成長のプロセスを知るためにあります。
未熟な部分があるから、人と共感することもでき、人も自分も許すことを体験できます。
それは、大きな喜びです。
あなたは、他の方の未熟な部分を責めますか?
ヒーラーは、他の人の未熟な部分を見つけたら、愛で包みます。
また、自分にも同じ部分を発見して、癒します。
克服するということは、打ち勝つということ。
勝とうとする限り、相手は消えません。
一旦は勝ったと思っても、より大きくなった相手が姿を現します。
そうではなく、未熟な部分があると気づいて認める…これが、「受け入れる」ということです。
そして、その本質を観ます…これが、ここでいう「浄化」に当たります。
この作業が、観心想です。
本質の姿を観ることができれば、大きな喜びと安心(あんじん)の境地に到達します。